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マガジン第14号(2020.11.29)「死生観について語る」

マガジン第14号(2020.11.29)「死生観について語る」

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目次

はじめに

1.「魂の成長とは」

2.「死んだら涙は出るのか」

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はじめに

こんにちは。私が毎月発行している教室だよりのコラムをメルマガ化する
と宣言しましたので、実際にやってみようと思います。知識や言葉、思考は共有物です。私もたくさんの方々の影響を受けています。引用転用、シェアやご意見など遠慮なくどうぞ!!

「大丈夫、大丈夫になるから、大丈夫」
好奇心を持ち続け、失敗し続けること。

うまくいかない過去があっても、今こうして立っている私がいる。だから、過去の自分には「大丈夫」「なるとかなるから」と言える。
そんな風に、未来の自分から今の自分に向けて
「今は悩んでいるけど、これから大丈夫になるから、大丈夫だよ」と言ってあげたい!

そして、あなたにも「大丈夫」と言いたい。
「いいね!やってみよう」
「きっとできる」と言いたい。
その根拠として、私は常に新しいことに手を伸ばして、失敗し続ける存在でありたい。
一緒に勇気を出して歩いていこう!

そんなマガジンです。

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魂の成長という観点

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丁度今、時代の変わり目だと巷では話題なので
いきなりこんな話をします。
よく聞く(私はよく聞く)
『魂レベルで考える、魂の成長』という話です。

ものごとに良いも悪いもない。起こることは、魂がただその経験をするために起こっている。
人生を一つの物語と考えれば

足を怪我している
→進まず休む、見つめ調整する時
ケンカ
→仲良くなるため
貧乏
→お金の大切さを知る
信じられない
→信じられなくなった経験をする

ストーリー(シナリオ)が変わってないのに、登場人物のキャラクターだけ変えようとしても上手くいかない。
ストーリーを描いて、そのためのキャラも具体的に設定してきているのだから。
だったら、ストーリーを知り、受け入れてみること。そしてさらに、望むなら、ストーリー自体を自分で書き加えていくこと。

魂が宿った自分の器(身体)を大切にする。飲食、身につけるもの、抱く感情。
それらを感じ、味わうことが魂の成長につながる。


人生を物語としてみる視点。自分を受け入れ、大切にすること。
そして、この環境に生まれてきた確率の奇跡に感謝し、二度とない今世を味わい切る。


こんな感じでしょうか??


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死んだら涙が出るのか

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今回はたまたま怪しい話が続きます。私が以前から思っていたこと。それは
「自分が死んだら周りの人は泣くのか」
「私の周りの人が亡くなったら自分は泣くのか」
という問いです。

映画を観ていると、死に対して涙が溢れてきます。
我が子を失った悲しみ。恩師や友人を失った悲しみ。
相手の言葉にショックを受けること。
涙が出るほど喜びを感じること。

色々な心動かされるシーンを観て、ふと思う
「自分はこんな感情になれるのだろうか」と。

子どもは喜怒哀楽が激しく、無邪気で素敵だなって思いますが、あそこまで純粋にはなれない私。
もちろん、それなりには感情表現をしているつもりです。
美味しい、嬉しい、悔しい、悲しい、楽しい・・・
自分なりに感じていますが
他と比べると、何だか味気ない気もするんです。

私は私。それでいいと思っちゃえばいいんでしょうか。
それとも
もっと感情むき出しでいいんだよって自分に言ってあげればいいんでしょうか。

悩み所です。。。

目を瞑って聞いてみると「自然が一番だよ」って言葉が出てきました。無理なく自然にして、ちょっと意識してオーバーリアクションにしているうちに、年月を経て、丁度良い自分になっていくんだと思います。

「大丈夫だよ。」
の一言に深みのあるおばあちゃんになりたいです(笑)

でも、今は
「いいんじゃない?」
って軽く言うテキトーな自分も嫌いじゃないです。
(私、欲張りなんです。)

さて、人の死に対する私の意識ですが
「命を奪うことは最も重い人権侵害だ」
と社会の授業で先生が話してくれた言葉が頭に残っています。

人を殺めることは絶対にしない。良くない。
これは、結構共通の考えだと思いますが、
「死んでしまったら仕方がない」
という私的な考えも同時に生まれます。
(言葉だけで伝えるのは難しいですが頑張ります。)

なんらかの結果で人の死に関わった時に、一生自分を責めて生き続けなければいけないのか。
生きたかった人が命を絶たれることは悲しいことですが、人生を味わいきって死を迎えることだってあります。終わりもあれば始まりも同じ数だけあります。

そんなことを考えていると
自分の肉親が亡くなったとしても、意外とあっさり心は次に行ってしまうような気がするんです。
(「しまう」という表現が死を悲しむもの、引きずるのが良いという固定観念なのかも)
その人を思う、大切にするという意味ではいい風習なのかもしれませんが・・・。

自分が死んだら、
多分、親は泣くと思います。でも他の人はどうだろう。
「泣いて欲しいか」と聞かれれば、悲しんで欲しいですが、泣いて欲しくはないですかね。
楽しく明るく送ってもらえるような死に方(生き方)をするつもりです。

失ったら心が乱れるくらいの深い愛情に憧れもしますが、依存や執着はしたくない。

結局その人の性格というか裁量ですね。
私は感情の波が穏やかでありたいと思っているんだなって感じました。
なので、リアクションが薄くても凹まないでくださいね。

最初の印象と話した感じと、文面と、全然違うってよく言われます。

アイデンティティの一致と言われますが、色々な自分をもっている人も面白いですよね。


今日は死生観についての話でした。
ってまとめておきます。


今日も心を込めて☆