布オムツ、布パンツ保育が子どもにとっていい理由
こんにちは。
最近、布オムツ、布パンツでの保育が流行っているそうです。
ですから、今日はちょっと専門的な話をします。
「汚れて大変なのになぜ布何ですか。」
という質問に対して、専門家の方がとても分かりやすく解説してくれた話を教えて頂いたので、共有したいと思います。人間は幼いほど「快」か「不快」かで行動します。これは本能です。
おしっこをすることは「快」
お股が濡れることは「不快」
洗ってすっきりしてもらえば「快」
快、不快を繰り返すうちに、当然「快」を感じようと心は働きます。
すると、何が起こるかというと
おしっこを我慢することをし始めます。
ほんのちょっと我慢をする度に、膀胱(ぼうこう)のタンクが大きくなり、おしっこを溜められるようになっていくのです。
それが、サラサラ感に優れた紙オムツ、紙パンツだとどうでしょう。
おしっこをしてもサラサラのままで「不快」ではないため、タンクが大きくなりません。
また、大人がやたらと「トイレ行く?」と声をかけて、トイレでおしっこが出来たことを褒めすぎると、子どもはおしっこに意識が行き過ぎて、頻尿になります。
遊びに夢中なときに頻繁におしっこはしません。
自然に任せるってことですね。
子どもは「種」です。
種は生まれたそのままで
実をつけ、花を咲かす能力を備えています。
育つものがちゃんと育つように環境を整えることが大事なんです!
でも、ついつい我々大人は教えてあげているつもりになってしまいます。
良い保育者は、素晴らしいことを教えることが出来る人ではありません。
子どもをよく観察し、その子が必要としている環境を適材適所に整えてあげる人、
つまり、子どもを理解している人です。
種は確かに、自分だけでは成長できません。
土や水などの環境を整えてあげる必要があります。
しかし、成長するのは種自身です。水をあげた人が直に種を成長させることはできません。
これは、私たちも一緒です。
他人から素晴らしい話を聞いても、それを自分の糧にするのは自分自身です。他人は機会を与えてくれますが、それによって自分が成長したかどうかは
自分次第です。
主体は自分。
ですから、相手に成長の材料を与えてあげることは出来ても、成長させていくのは相手自身です。
繰り返しになりますが、子どもに教えてあげているつもりにならないことです。
子どもを信じる。
いうのは簡単です。
これをトイレの話に戻しますと、極端にいえば、トイレトレーニングは、大人の都合に子どもを合わせるために行われるそれこそ(朝顔を夕方に咲かせようとするような)「トレーニング」なのです。
とは言っても、各自それぞれの事情がありますから、必ず布パンツでおしっこを垂れ流しなさい。とは言えませんし、私も保育園以外では紙パンツを使っています。
子どものために出来るだけ手間暇をかけてあげたい
けれど
大人の都合で、世の中の時間が流れていることが大半
子どもは自由に活き活きとして欲しい
けれど
世の中の枠に適応していって欲しい
この葛藤を感じない人はいないと思います。
子育てほど、難しいものはないからこそ、最高に面白いのかも知れません。
全て正解なことだけを教えられた子ども=幸せな子
ではないですよね。
「快」と「不快」
成功と失敗どれも必要なこと
正解のわからない問いを解き続けるって
最高の暇つぶしじゃないですか(笑)
それが、人生
それが、子育て
「子育ては生き物全ての永遠のテーマ」です。
また熱く語ってしまい、話がわけ分からないほどに大きくなってしまいました。
でもまぁ、大切なのは心。
どんな内容だろうと、その子を思ってしたことはあなたにとっても、その子にとっても全部◎だと思います!
愛があれば大丈夫!
(火を通せば大丈夫的な)
では、今日は子どもたちの成長を願い
愛を込めて☆☆