欠点のおかげで・・・ / 見えないことで見えるもの
こんにちは。しげです。
今日は本や体験を通してではなく、最近思っていたこと。
完全なつぶやきです。
私は視力が両眼でやっと0.7
(裸眼でギリギリ運転免許が通ります)
私の知っている古い知識では、近くのものや小さいものを見過ぎたり、暗い所でものを見ていたり、テレビやゲームをし過ぎたりすると視力が落ちます。
また、視力は人によって眼球の筋力などに差があり、同じように過ごしていても視力の落ち具合は人それぞれです。
病気やケガが原因で視力が落ちることもあると聞きます。
ですが、こんな話も聞いたことがあります。
見たくないものが多くて視力を失ってしまった。
今まで見えなかった人が、心から相手の顔がみたいと思ったら見えるようになった。
もっとも頑張ってくれた体の部分が痛みとしてサインをくれるように
病は気からというように
心と体は繋がっていて、体はいつも教えてくれています。
そう考えると、私の視力が落ちたことは何を意味するのでしょうか。
(単に、ゲームのし過ぎ、カッコつけて前髪を目にかけていたというのはもちろんですが笑)
中途半端な視力なので、眼鏡を掛けるときと掛けない時があります。
遠出をするとき
夜間に車の運転をするとき
気分を変えたいとき
イベント事があり、遠くまではっきりみたいとき
固い仕事をするとき
・・・
ダテ眼鏡でも掛けるときに自分を変えるスイッチとして使用していたこともありますが、今は眼鏡をかけたときの「おぉ~見える~」って感覚が嬉しくなります。
こんな感じで、
今まで見えなかったものが見える嬉しさを感じたり
視力が落ちて見えなくなっても、見えなかったら大して気にしなくて良くなったり
よく見えないからこそ、集中したり、その他の感覚を研ぎ澄ませたり
視力を落とした分、体のどこかが一層活性化したり(自覚はなしです)
そんないいことを得られているのじゃないかと考えました。
ものごとは表裏一体。
ようは考えようです。
あなたが欠点だと思っていることで
実は得していることは何ですか。
あなたが失ったことで
実は得られたものは何ですか。
発想の転回
では、今日も心を込めて☆