恨みがなくなる?「ある」ものが「ない」になる?
こんにちは。おじいちゃんに守られているしげです。
なぜ守られているかは前々回の記事にお書きしました。
今日は「ある」ものが「ない」になる話です。
仏教の経典『法句教』に出ている言葉を紹介します。
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「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。」
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恨みを解消するために、恨みを持って行動すれば、また恨みが発生して終わりがなくなる。
簡単に言えば、恨みを捨てなさい。
ということですね。
恨みというのは「人をウラミ、仇(あだ)すること」だそうです。
大なり、小なり誰もがもつ感情ですよね。
小さなことで例えるなら、
私がお金を貸しているとしましょう。
ずっとそのことを覚えていて「いつ返ってくるか」と気が気じゃない。
一方、
貸していることを忘れていたら
毎日違うことを考えていて、突然返してもらえば
「忘れてた、ラッキー。」
となります。
つまり、頭の中から無くしてしまえば、実態もなくなるのです。
事実としては、確かにあることなのに、意識しなければそれは「ない」ことになり得ます。
「ある」ものはある。
「ない」ものはない。
深いですね~(笑)
ずっと嫌なことに目を向け、恨みを根に持つ毎日は楽しいでしょうか。
こんな例もあります。
(この手帳に載っているコラムを参考に)
「あなたは今日、白い車と黒いを何台見ましたか?」
という質問には、答えられませんよね。
でも、
「あなたは明日、白い車を何台見ますか?」
これなら答えられます。
だって、意識して見るから
これが車ではなく、「幸」と「不幸」だったとします。
そう、
あなたは、訪れる「幸」だけをみることができるのです。
逆に言えば、「不幸」を見続けることもできます。
「ある」と意識するか「ない」と意識するか
世界は、がらりと変わります。
こんな話もあります。
第2次世界大戦が終わった後のサンフランシスコの会議で
日本の賠償責任の話題になりました。
「うちの国にも賠償金を頂きたい。」
と各国が厳しい制裁案を話している中、セイロン(現スリランカ)代表のジャヤワルデネさんが演説をしました。
我国はそうしようとは思いません。何故なら我々は大師の言葉を信じていますから。
大師(ブッダ)のメッセージ、
「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる 人は憎しみによっては憎しみを越えられない 実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない。 怨みをすててこそ恩む、これは永遠の真理である。」
・・・
と、言って賠償金を要求しませんでした。
この演説(実際はもっと長いみたいです。)によって、会議では日本が復帰できるような制裁に留まったそうです。
じつは、「ある」と意識して初めて存在するということは、「量子力学」という科学でも証明されているらしいです。
詳しくは(って詳しくなんてわかりません笑)また今度書きますね。
では、
今日も心を込めて☆