ココ楽ブログ~見方と在り方と成功について考え、面白さで包んでみた~

心がちょっぴり楽になる あなたに 自分自身に 心を込めてエールを送るブログ

何故ブログを書く、読むが成功に繋がるのか

こんにちは。

山菜の天ぷらを食べすぎて気持ちが悪く
胃腸の調子が気になっているシゲでございます。

勉強も遊びも何事も
取り入れることは腹八分目にして、
動ける(アウトプットできる)余裕を残しておきたいですね。



さて、
自分の時間ができると、物理的にも自分のことを考える時間が増えます。

自他のSNSに触れる機会も多くなっているのではないでしょうか。



そこで、
今日のテーマは

「人はなぜ、ブログを書くのか」

です。

アメブロやnoteのユーザーはまだまだ伸びているそうですね。


私も繰り返し言っていますが

自己満足

のために記事を書いています。

もちろん、読み手のことを考えて書いていますが、それでもやっぱり自分がやりたいからやっています。


それは何故か?

書くとスッキリするからです。

私の場合は、思いついた発見や学んだことを言いたいけれど
リアルな世界で毎回語る場があまりないので
ここで自由に書く。

さらにそれを承認してもらえることで
とても高い幸福感を得ます。


スッキリするという言葉がしっくりくる理由として

自分を認める練習をしている
という点があります。

いい事だけを書く必要は無いし
思ったことをそのまま言葉にすることで
自分の気持ちを出すことに許しを与えています。


これは、今のことに限らず
過去のことや未来のこと等
書くこと全てにおいて共通だと思います。




次に、ブログの良さとしては

今の自分と違う自分を表現しても良い

という点です。

先ほど言った自分を認めることと
矛盾するように聞こえますが

未来の自分に期待しても良い
という点で自分への許しは同じです。


例えば
今の自分には似合わない服を買ってみる
「理想の自分だったらこうする」という選択をする
ワクワクする未来を語る
過去を都合よく解釈する

等といった感じでしょうか。




人によってブログの使い方や書き方は様々ですが
書くと元気になったりスッキリする点は
割と皆さん共通だと思います。

なので
ブログを書いてもスッキリしない人は

自分ルールで勝手に苦しくなっていたり
他人の依頼や目線で書いていたり
本心とは違うことを書いたり
しているのかも知れません。




また、

ブログの世界は基本的に承認の世界です。

いいね!ボタンしかありません。
見たくない人のブログは見る必要ないですから。
なので、
どんな自分でも認められることを知っているから
書く方も読む方も
書きたいこと、読みたいもの
を自由に共有し合うことによって
お互いに認め合い、
心地よくなっていくのだと思います。


気分が悪くなったら辞めればいい。


その気軽さ故に
この世界を否定する人から
「胡散臭い」「調子に乗ってる」
等という言葉を浴びることもありますが、

それはその人の座標から見た視点なので
私は私の視点を崩す必要は無い。
(批判から学べることもたまにはあるけど
ʚ(虫)ɞ〜 ブーンでいいです)


この軽さと緩さ
承認の世界を上手に使って

自分の感情を許す習慣をつけている人
=自己肯定感が高い人
=成功している(らしい)人


なのではないでしょうか。


つまり、
ブログを書くことが良いというより
自分の心に寄り添うツールとして
ブログがあり、
自分のメンテナンスをして
幸福度を高めている
(=自己否定を減らしている)

というのが私なりの解釈です。





ブログの公開は
記事ごとに設定もできます。

日記として
メモとして

よかったら始めてみませんか?







今日も心を込めて☆

人生最期の私から私へ贈る言葉

お久しぶりです。

 

タイミング的に大きく舵を切るのは今だと思い

ついにエクストラステージに突入して、先が真っ暗でございます。

 

真っ暗で見えないので、どうやって光を当てていくか

どの道を見つけて進むかを楽しむつもりですが・・・

 

もともと趣味だったのに

さらにおまけのステージなんて怖すぎてビビります。

 

「自分なんかが・・・」

という気持ちと

「自分にしかできない」

という気持ち

 

両方を大切にしつつ

良い仲間に支えてもらおう作戦です。

 

 

 

さて本題に移ります。

心理療法

「エンプティチェア」

ご存じでしょうか。

 

2つの椅子を使って今とは違った自分の見方、感じ方を体験する方法です。

 

私が教えてもらった内容は

①向かい合わせに椅子を置く

②まず一つの椅子に腰かけて、目の前に人生最期の自分の世界への扉をイメージする

③その扉を開けて、もう一つの椅子に座る

④理想の人生を送った最期の心境を感じてみる

(どこで何をしているか、身なりや環境、思い出等…)

⑤最期(未来)の自分から、現在(過去)の自分へ言葉を送る

 

 

今回は未来の自分と今の自分ですね。 

 以下は私の体験の感想です。

 

 

私が感じた(想像した)人生最期の日は・・・

 

病院のベッドで寝ていて

(とりあえず、病院に運んでもらえる環境らしい)

子どもが三人座っていて

(隠し子はいなかったみたいです)

深刻ではなく普通に会話をしていました。

(十分やりたいことをやったので、めでたく眠れるらしい)

 

3人しかいないってことは、

妻には寂しい思いをさせずに済んだのかな?

それはともかく

顔や細かい様子は分かりませんでしたが、

子どもが未来でも生きている

そのことで充分なんだと感じました。

 

子どもがどんな生活を送っているかは知る必要がない

自分がどんな実績を残したかは知らなくていい

 

かなり前から決めている人生最期の言葉

「あ~面白かった」

が言えた最期の充実感を味わいました。

(ちなみに最期の食事はプリンと決まっています) 

 

 

 

それが分かったことで

自分の仕事とか、その他いろいろって

結局、趣味なんだ

と思いました。

だって具体的に何にも出てこなかったし

最期の自分にはどうでもよかったから

 

 

 

なので

現在の自分へ贈る言葉

 

自分がやっていることは趣味だから

一生懸命悩んだり、失敗したりして

楽しみな

 

未来を知ってしまったらつまらないでしょ?

だから(未来の)私はヒントをたまに送るだけ

 

とにかく何をしたって大丈夫だから

あのときの苦~い経験あっての今の私だから

今(過去)の私さんありがとう!

これから辛いこともある(かもしれない)

けど

めっちゃ嬉しいこともある(かもしれない)

とにかく全てが思い出づくりだから

 

 

 

 

大丈夫

 

 

 

 

 

一人でサクッとできて面白い

ワークでした。

 

今日も心を込めて☆

具合が悪いときに具合が悪いって本当ですか?

こんばんは。

お久しぶりです。

 

この二日間くらいは、夜はのどが痛くて鼻水が止まらない感じでした。

まさに風邪っぽい症状ですが、今の状況で普通の風邪を引くとかなりの人に迷惑が掛かります。

気合で直して、日中元気に活動し、隙間を見て休息。。。

 

すると娘が

「パパ最近何で具合が悪いの?」

と聞いてきました。

 

「そんなの知らないよ。」

(風邪なんてなりたくてなるもんじゃないでしょ)

 

とイラっとしながら言おうとしたら

 

「具合がいいかって自分で決めるもんでしょ」

 

 

 

う~ん

娘を介して降ってきた言葉だよね。これ。

 

 

 

 

物理的に具合が悪くても

それをどう捉えるか

確かに

体の調子が悪い=気分が悪い

と選択をしている自分がいる。

 

または、具合が悪くなるに至る原因は必ずある。

 

 

 

「これは私に何を教えてくれているのか」

 

 

ついつい忘れる自分自身への問いかけ

 

 

 

 

イラっとしてもいい。

 

けれど、イラっとすることや自分の欠点は

ちゃんと自分でわかっていた方がいい。

 

それでもって、もちろん

一個ずつでも自分の嫌なところは消していけるなら

なくした方が楽になる。

 

べつに

幸せとか

良い自分になるとか

高次元の話じゃない。

 

嫌な自分を0に戻していく。

 

これは物理的に解消するというよりも

今の状態をマイナスじゃなく0と考える

ものの見方の問題。

 

 

 

とりあえず夜は脳のテンションを上げ過ぎず 

早く寝よう。

 

 

考えるのは寝てから

朝にします。

 

 

 

今日も心を込めて☆